量子もつれとベル状態
もつれの正体を式で開封。積状態との違いから4つのベル状態、非局所相関、CHSH不等式の破れまで、量子計算の土台を最短で腑に落とせます。
- 1.2量子ビットの状態が「片方ずつの状態の積」に分解できないとき、その状態はエンタングル(もつれ)していると言う。分解できる積状態は相関を持たない。
- 2.代表がベル状態。|00> にアダマール H とCNOTを順に掛けると (|00>+|11>)/√2 が生成され、片方を測ると必ずもう片方の結果が確定する最大もつれ状態になる。
- 3.もつれの相関は古典的な局所隠れ変数では説明できない。CHSH不等式の古典上限2を、量子は最大 2√2(約2.83)まで破り、非局所性が実験的に検証されている。
もつれを「式」で定義する
エンタングルメント(量子もつれ)は「離れた2粒子が瞬時に通信する」といった比喩で語られがちですが、正確な定義は純粋に線形代数の言葉で書けます。鍵は 合成系の状態ベクトルが、部分系のテンソル積に分解できるか否か の一点です。まずこの分解可能性を定義し、そこからベル状態・非局所相関・CHSH不等式までを一本の筋で追います。前提として、1量子ビットの状態は複素振幅 a・b(|a|²+|b|²=1)を使い a|0> + b|1> と書ける、2次元複素ベクトルだとします。
積状態:もつれていない状態
2つの量子ビット A・B を合わせた系は、テンソル積 |ψ_A> ⊗ |ψ_B> で表せます。A が a0|0>+a1|1>、B が b0|0>+b1|1> なら、合成状態は次のように展開されます。
|ψ_A> ⊗ |ψ_B>
= (a0|0>+a1|1>) ⊗ (b0|0>+b1|1>)
= a0·b0 |00> + a0·b1 |01> + a1·b0 |10> + a1·b1 |11>
このように 各部分系の状態の積として書ける合成状態を積状態(separable state、分離可能状態) と呼びます。積状態の決定的な特徴は、4つの係数が必ず c_xy = (A側の係数) × (B側の係数) という積の形になる点です。ここから、係数の間に次の制約が生まれます。
係数を c00,c01,c10,c11 とおくと
積状態 ⇔ c00 · c11 = c01 · c10
c00·c11 = (a0 b0)(a1 b1) と c01·c10 = (a0 b1)(a1 b0) はどちらも a0 a1 b0 b1 に等しくなります。つまり積状態では対角成分の積と反対角成分の積が必ず一致します。この等式が 崩れた瞬間、その状態はどんな |ψ_A> ⊗ |ψ_B> にも分解できない ——それがエンタングルメントの数学的な定義です。
ベル状態:最大もつれの代表
分解不可能な状態の代表が ベル状態(Bell states) です。次の4つが基底をなし、いずれも2量子ビットの最大もつれ状態です。
|Φ+> = (|00> + |11>) / √2
|Φ-> = (|00> - |11>) / √2
|Ψ+> = (|01> + |10>) / √2
|Ψ-> = (|01> - |10>) / √2
|Φ+> を先ほどの判定式に当てはめると、c00 = c11 = 1/√2、c01 = c10 = 0 なので c00·c11 = 1/2 に対し c01·c10 = 0。等式が破れているため、|Φ+> は 積状態に分解できない=もつれている と即座に確認できます。
|Φ+> で A を測定すると、確率1/2で 0、確率1/2で 1 を得ます。しかし A が 0 なら B は必ず 0、A が 1 なら B は必ず 1。片方の測定結果が、もう片方の結果を完全に決めてしまう——この「片方ずつの状態には切り分けられない」性質こそが分離不可能性の直感的な現れです。各ビット単体は五分五分でランダムなのに、2つの結果は完全に相関します。
ベル状態の作り方:H と CNOT
ベル状態は、基本ゲート2つで機械的に生成できます。アダマールゲート H で重ね合わせを作り、CNOT で相関を焼き付ける のが定石です。まず各ゲートの作用を押さえます。
アダマール H :
H|0> = (|0>+|1>)/√2
H|1> = (|0>-|1>)/√2 (重ね合わせを生成)
制御NOT CNOT(制御=A, 標的=B):
|00> -> |00> , |01> -> |01>
|10> -> |11> , |11> -> |10>
(A が |1> のときだけ B を反転)
初期状態 |00>(A・B とも |0>)に、A へ H、続いて CNOT を掛けると次のように |Φ+> が得られます。
|00>
--H(A)--> (|0>+|1>)/√2 ⊗ |0> = (|00> + |10>)/√2
--CNOT--> (|00> + |11>)/√2 = |Φ+>
H を掛けた直後は まだ積状態((|0>+|1>)/√2 と |0> の積)である点が重要です。もつれを生むのは次の CNOT で、A と B の間に「A が1なら B も1」という条件付き反転を導入した瞬間に、二度と分離できない相関が焼き付きます。残り3つのベル状態も、初期ビットを変える(例えば B を |1> から始める、A に Z や X を追加する)ことで同様に生成できます。
| 観点 | 積状態(例 (|00>+|10>)/√2) | ベル状態(例 |Φ+>) |
|---|---|---|
| 分解 | |ψ_A> ⊗ |ψ_B> に書ける | どんな積にも書けない |
| 判定式 c00·c11 vs c01·c10 | 一致する | 一致しない(等式が破れる) |
| 片方の測定 | 他方の分布を変えない | 他方の結果を確定させる |
| 生成 | H など単一ビット操作のみ | H の後に CNOT(2ビットゲート)が必須 |
| 相関 | なし(独立) | 最大(完全相関) |
非局所相関:古典では埋められない差
もつれの相関は、単なる「初めから答えを揃えて配った」古典相関とは本質的に異なります。古典的な説明を 局所隠れ変数(local hidden variable, LHV) と呼びます。これは「各粒子が測定される前から、あらゆる測定に対する答えを内部に持って運んでいる」という考え方で、次の2つを前提にします。
- 実在性:測定値は観測前から確定している(隠れ変数
λが決めている)。 - 局所性:一方の測定設定は、離れた他方の測定結果に影響しない。
もつれ状態はこの枠組みで再現できません。ベル状態の相関は、両者の 測定基底の相対角度 に滑らかに依存し、古典的な「事前に決めた答え」では作れない角度依存を示します。ただし注意すべきは、測定結果そのものは各側ではランダム で、もつれを使って情報を瞬時に送ることはできない点です(無信号定理)。相関は測定結果を後で突き合わせて初めて見える、というのが正確な描像です。
「A の測定が B を即座に変える」という表現は誤解を生みます。B 側だけを見れば、A が何をしようと結果は常に五分五分のランダムで、A の操作は B のローカルな統計に一切影響しません。相関が現れるのは両者の記録を 古典通信で照合した後 だけです。したがってもつれは超光速通信には使えず、相対論と矛盾しません。
CHSH不等式:非局所性を数で測る
LHV で説明できるか否かを実験で判定する道具が CHSH不等式(ベル不等式の一形式)です。A・B が各自2つの測定設定を持ち、結果を +1 / -1 とします。A の設定を a, a'、B の設定を b, b' とし、それぞれの結果の積の期待値(相関値)を E(a,b) などと書きます。CHSH量 S を次式で定義します。
S = E(a,b) + E(a,b') + E(a',b) - E(a',b')
局所隠れ変数が成り立つ世界では、各結果が事前に ±1 で決まっているため、S は必ず次の上限に収まります。
古典(LHV)の上限 : |S| <= 2
各測定値を ±1 の確定値とすると S = a(b + b') + a'(b - b') と括れます。b, b' はともに ±1 なので、(b+b') と (b-b') の一方は必ず 0、他方は ±2。したがって括弧内の合計は常に ±2 に収まり、a, a' も ±1 だから |S| <= 2。確定した局所的な答えが存在する限り、この壁は超えられません。
ところが量子力学では、ベル状態に適切な測定角度を選ぶと S がこの壁を超えます。到達できる最大値は チレルソン限界(Tsirelson bound) と呼ばれ、次の値です。
量子の上限(チレルソン限界): |S| <= 2√2 ≈ 2.828
| 世界観 | S の上限 | 意味 |
|---|---|---|
| 局所隠れ変数(古典) | 2 | 事前に確定した局所的な答えで説明できる範囲 |
| 量子力学 | 2√2 ≈ 2.83 | ベル状態+最適測定角で到達する非局所相関 |
| 無制約(信号可) | 4 | 式の数学的な最大値。無信号条件で禁止される |
|S| > 2 が観測されれば、その相関は いかなる局所隠れ変数でも再現不可能——すなわち自然が非局所的であることの証拠になります。CHSHはこれを1つの数値の大小比較に落とし込んだ点で強力で、Aspect の実験以降、抜け穴を塞いだ検証でも 2 の破れが繰り返し確認されています。
- もつれの定義:合成状態が
|ψ_A> ⊗ |ψ_B>に分解できないこと。判定はc00·c11 = c01·c10が破れるか。 - ベル状態の生成:
|00>に H(Aに)→ CNOT で|Φ+>=(|00>+|11>)/√2。H だけでは積状態、もつれを生むのは CNOT。 - CHSHの2つの限界:古典(LHV)は
|S|<=2、量子は|S|<=2√2。この差が非局所性の証拠。 - 無信号:もつれで情報は送れない(各側の結果は独立にランダム)。相関は古典通信で照合して初めて見える。
まとめ
エンタングルメントは神秘ではなく、「合成状態がテンソル積に分解できない」という明確な代数的性質 です。分解可能性は c00·c11 = c01·c10 という等式の成否で判定でき、これが破れる |Φ+>=(|00>+|11>)/√2 などのベル状態が最大もつれの代表です。生成は H で重ね合わせを作り CNOT で相関を焼き付ける2手で足り、生まれた相関は局所隠れ変数では再現できません。その差を数値化するのが CHSH不等式で、古典上限 2 を量子は 2√2 まで破ります。この分離不可能性と非局所相関は、量子テレポーテーション・超密度符号化・量子鍵配送といった応用の共通基盤をなす中心概念です。とりわけ量子鍵配送は盗聴検知に相関の破れを利用するため、関連する暗号応用の観点は セキュリティ の記事群も参照してください。
量子コンピューティング Article
量子もつれとベル状態を実務で読む
TL;DRは入口です。実際に選ぶ・使う段階では、何を解決するか、何と比較するか、導入後にどこで詰まるかまで見る必要があります。
解決すること
量子もつれ
比較で見る軸
難易度: advanced / カテゴリ: 量子コンピューティング / タグ数: 5
導入後に効く点
代表がベル状態。|00> にアダマール H とCNOTを順に掛けると (|00>+|11>)/√2 が生成され、片方を測ると必ずもう片方の結果が確定する最大もつれ状態になる。
先に潰すリスク
用語だけ覚えても、設計・実装・運用でどこに効くかを確認しないと判断を誤る。
- 難易度
- advanced
- カテゴリ
- 量子コンピューティング
- タグ数
- 5
判断チェックリスト
- 自社の用途が「量子もつれ / ベル状態」に近いか確認する。
- 強みである「2量子ビットの状態が「片方ずつの状態の積」に分解できないとき、その状態はエンタングル(もつれ)していると言う。分解できる積状態は相関を持たない。」が本当に評価軸になるか確認する。
- 注意点の「用語だけ覚えても、設計・実装・運用でどこに効くかを確認しないと判断を誤る。」を運用で吸収できるか確認する。
- 公開値や仕様値は、対象プラン・対象機種・対象リージョンまで確認する。
- 既存システム、ID、ネットワーク、監視、バックアップとの接続方法を先に洗い出す。
- 小さく試してから、本番移行、権限設計、障害時手順、コスト監視を決める。