傾斜補償(スロープコンペンセーション)の原理
ピーク電流モードがデューティ50%超で発振する謎が、電流波形の幾何だけで腑に落ちます。補償ランプの傾きを下降傾きの半分以上にすれば全域安定になる理由を、摂動の収束条件から導けます。
- 1.ピーク電流モードの発振は、ある周期の電流ピーク誤差ΔIが次周期に−(m2/m1)倍で伝わる写像の発散で起きる。CCM降圧ではm2/m1 = D/(1−D)なので、Dが0.5を超えると倍率が1を超え、誤差が毎周期拡大してfswの半分でサブハーモニック発振する。
- 2.検出電流に傾きmaの人工ランプを足すと、周期間倍率が−(m2−ma)/(m1+ma)に変わる。傾斜補償は分母を増やし分子を減らす二重効果で写像を縮める。
- 3.収束条件|倍率| ≤ 1は ma ≥ (m2−m1)/2 と等価で、最悪のD→1でもma ≥ m2/2を満たせば全デューティ域で安定。ma = m2にするとΔI1=0のデッドビートになる。
なぜ「半分のデューティ」が安定の壁になるのか
/power/voltage-vs-current-mode-control/ で触れたとおり、ピーク電流モード制御はインダクタ電流の立ち上がり波形を制御電圧 Vc と比べ、電流がしきい値に達した瞬間にスイッチをオフします。応答が速く過電流保護も自然に入る優れた方式ですが、デューティ比 D が50%を超えると、Vc も入力も負荷も何も変えていないのにサブハーモニック発振を起こす という固有の不安定性を持ちます。これは部品のばらつきでもノイズでもなく、ピーク値でオフを決めるという制御則そのものに内在する幾何学的な帰結です。本稿は、その発散を電流波形の摂動写像として導き、補償ランプの加算がなぜ・どれだけ足せば写像を縮められるのかを、傾きの幾何だけで説明します。
摂動が周期をまたいで伝わる幾何
ピーク電流モードの安定性は、定常状態の電流波形に微小なずれ(摂動)を与えたとき、それが次の周期で拡大するか減衰するかで決まります。連続導通モード(CCM)のインダクタ電流は、オン期間に傾き m1 で立ち上がり、オフ期間に傾き m2 で立ち下がる三角波です。降圧(バック)では次のとおりです。
インダクタ電流の傾き(CCM・降圧)
立ち上がり傾き m1 = (Vin − Vout) / L … スイッチオン期間
立ち下がり傾き m2 = Vout / L … スイッチオフ期間
定常では1周期で電流が元に戻る → m1·D·Ts = m2·(1−D)·Ts
よって m2/m1 = D/(1−D)
いま、ある周期の開始時にインダクタ電流が定常値から ΔI0 だけずれていたとします。ピークしきい値(Vc 相当値)は固定なので、電流が同じピークに達する時刻は摂動の分だけ前後します。立ち上がり傾き m1 で登る波形がしきい値に当たるまでの時間ずれは −ΔI0/m1 で、その後オフ期間に傾き m2 で下る間にこの時間ずれが電流ずれへ変換されます。周期末に残る摂動 ΔI1 を追うと、次の関係が出ます。
無補償ピーク電流モードの周期間写像
ΔI1 = −(m2 / m1) · ΔI0
一般の n 周期目: ΔI(n) = (−m2/m1)^n · ΔI0
ここが核心です。摂動は毎周期 −(m2/m1) 倍されて伝わります。符号が負なのは、ピークが固定されているために今周期で電流が高めにずれると次周期は低めに振れるという反転が起きるからで、これが発振が周期交替(fsw の半分)の形をとる理由です。倍率の大きさ m2/m1 = D/(1−D) が安定の境界を決めます。
摂動が収束する条件: |m2/m1| ≤ 1 すなわち m2 ≤ m1
D が 0.5 未満 : m2/m1 が 1 未満 → ΔI が毎周期縮む(安定)
D が 0.5 超 : m2/m1 が 1 超 → ΔI が毎周期拡大(不安定=発振)
D = 0.5 : 倍率ちょうど1 → 振幅一定で大小を交互に繰り返す境界
谷(バレー)電流モードや、ランプそのものをしきい値にする電圧モードでは、この写像の符号と倍率が変わります。ピーク制御で倍率が −m2/m1 になるのは、固定ピークに対して立ち上がりでタイミングを決め立ち下がりで誤差が膨らむためで、立ち下がり傾き m2 が立ち上がり傾き m1 を上回る D が 0.5 超の領域でだけ発散します。谷制御は逆に D が 0.5 未満で弱くなる、鏡像の弱点を持ちます。
補償ランプを足すと写像が縮む
対策が傾斜補償です。検出電流(または等価的に制御しきい値 Vc)に、傾き ma の人工的な下降ランプを各周期で加えてから比較します。実装上はしきい値 Vc をオン期間中に傾き ma で下げていくのと同じで、電流が「下がってくるしきい値」を追いかける形になります。この一手で、波形がしきい値に当たる幾何が変わり、周期間写像が次のように書き換わります。
傾斜補償ありの周期間写像
ΔI1 = −(m2 − ma)/(m1 + ma) · ΔI0
・分母 (m1 + ma): 立ち上がり側の実効傾きが急になり、
同じ電流ずれが生む時間ずれ −ΔI0/(m1+ma) が小さくなる
・分子 (m2 − ma): しきい値が ma で下りる分、立ち下がりで
積み上がる誤差が相殺されて小さくなる
補償ランプは分母を増やし分子を減らす二重の効果で倍率を引き下げます。幾何的には、固定だったしきい値線が傾き ma で下降することで、立ち上がり波形がより急な相対傾き m1 + ma で交差し、かつ立ち下がりで誤差を膨らませる実効傾きが m2 − ma に弱まる、と読めます。
収束条件 ── 下降傾きの半分という最小値
安定(少なくとも振幅非増大)の条件は、補償後の倍率の絶対値が1以下になることです。
安定条件: |(m2 − ma)/(m1 + ma)| ≤ 1
分子の絶対値 ≤ 分母 を満たせばよい。最も厳しいのは
m2 − ma が正で大きい(= m1 が小さく D が 1 に近い)場合:
m2 − ma ≤ m1 + ma
⇔ m2 − m1 ≤ 2·ma
⇔ ma ≥ (m2 − m1)/2
ma ≥ (m2 − m1)/2 が全デューティ域での収束条件です。実務では最悪ケースを押さえるため、m1 → 0(D が 1 に近づく極限)を代入した保守側の指針 ma ≥ m2/2 が使われます。補償ランプの傾きを電流立ち下がり傾きの半分以上にとれば、Dが何であってもサブハーモニック発振は起きない——これが傾斜補償の設計則です。重要なのは ma が m1 ではなく m2(=Vout/L、出力電圧で決まる立ち下がり傾き) に縛られる点で、入力電圧に依らず出力条件だけで補償量を決められます。
| 補償ランプ ma | 周期間倍率 −(m2−ma)/(m1+ma) | 挙動 |
|---|---|---|
| ma = 0(無補償) | −m2/m1 = −D/(1−D) | D が 0.5 超で発散 |
| ma = (m2−m1)/2 | 大きさちょうど 1 | 全域で安定の境界 |
| ma = m2/2(保守側の定番) | 1 未満(最悪Dでも安定) | 全デューティ域で確実に収束 |
| ma = m2 | 0 | 1周期で摂動消滅(デッドビート) |
| ma > m2 | 正で 1 未満に近づく | 過補償。電圧モードへ漸近 |
ma = m2 に等しく足すと倍率がゼロになり、どんな摂動も1周期で完全に消えるデッドビート応答になります。過渡整定が最速になる魅力的な点ですが、それ以上足すのは逆効果です。
ma を m2 より大きくしていくと倍率は再び増え(ただし正の値で1未満に留まる範囲)、何より人工ランプが検出電流より支配的になります。比較対象が実電流ではなく合成ランプ主体になると、インダクタを電流源化するという電流モードの本質が薄れ、制御から見たパワー段が二次系(LC二重極)へ逆戻りし始めます。ライン・フィードフォワードや一次系補償の利点を失うため、傾斜は発振を止める最小限(おおむね m2/2〜m2)に留めるのが定石です。
覚えるべき不等号は二つ。発散条件は D が 0.5 を超えると m2/m1 が 1 を超える。安定化の最小補償は ma ≥ m2/2(下降傾きの半分)。この二つが言えれば、なぜ50%が境界か・どれだけ足すかの両方を説明できます。
設計と実装上の注意
補償ランプは固定周波数の鋸歯状波として生成し、各スイッチング周期の頭でリセットします。実装は、検出電流信号に加算する方式と、しきい値 Vc 側を下降させる方式の二通りがあり、効果は等価です。傾きの絶対値は ma = (要求係数)·Vout/L で決まりますが、電流検出ゲイン(検出抵抗値や電流センストランスの巻数比)を介して電圧次元に換算してから設定する必要があり、ここを誤ると過補償・過小補償になります。電流検出の方式と利得換算は /power/current-sensing-methods/ を参照してください。
デジタル制御では補償ランプをカウンタで生成でき、Vout のフィードバック値から ma を動的に調整して常に最小補償を維持する適応傾斜補償も実装できます。離散時間化に伴うサンプリング極の扱いも含め、デジタル実装の勘所は /power/digital-power-control/ にまとめています。なお傾斜補償はあくまで内側電流ループの安定化策であり、外側電圧ループの位相余裕は別途確保が必要です。ループ整形そのものは /power/loop-compensation-bode/ を参照してください。
まとめ
- ピーク電流モードの発振は、電流ピーク摂動が周期間に
−(m2/m1)倍で伝わる写像の発散として説明できる。CCM降圧ではm2/m1 = D/(1−D)なので、D が 0.5 を超えると倍率が1を超え、誤差が毎周期拡大して fsw の半分でサブハーモニック発振する。符号が負なので発振は周期交替の形をとる。 - 傾き
maの補償ランプを足すと写像は−(m2−ma)/(m1+ma)に変わる。分母を増やし分子を減らす二重効果で倍率を縮める、というのが傾斜補償の幾何である。 - 安定条件は
ma ≥ (m2−m1)/2、最悪ケースを押さえる保守側の定番はma ≥ m2/2(立ち下がり傾きの半分)。補償量が入力ではなく出力で決まる m2 に縛られる点が実装上の要点。 ma = m2で倍率ゼロのデッドビートになるが、それ以上は過補償で電圧モード化し利点を損なう。傾斜は発振を止める最小限に留める。- 前提となる制御方式の対比は /power/voltage-vs-current-mode-control/、補償ランプの利得換算は /power/current-sensing-methods/ を参照。
電源 Article
傾斜補償(スロープコンペンセーション)の原理を実務で読む
TL;DRは入口です。実際に選ぶ・使う段階では、何を解決するか、何と比較するか、導入後にどこで詰まるかまで見る必要があります。
解決すること
傾斜補償
比較で見る軸
難易度: advanced / カテゴリ: 電源 / タグ数: 5
導入後に効く点
検出電流に傾きmaの人工ランプを足すと、周期間倍率が−(m2−ma)/(m1+ma)に変わる。傾斜補償は分母を増やし分子を減らす二重効果で写像を縮める。
先に潰すリスク
用語だけ覚えても、設計・実装・運用でどこに効くかを確認しないと判断を誤る。
- 難易度
- advanced
- カテゴリ
- 電源
- タグ数
- 5
判断チェックリスト
- 自社の用途が「傾斜補償 / ピーク電流モード」に近いか確認する。
- 強みである「ピーク電流モードの発振は、ある周期の電流ピーク誤差ΔIが次周期に−(m2/m1)倍で伝わる写像の発散で起きる。CCM降圧ではm2/m1 = D/(1−D)なので、Dが0.5を超えると倍率が1を超え、誤差が毎周期拡大してfswの半分でサブハーモニック発振する。」が本当に評価軸になるか確認する。
- 注意点の「用語だけ覚えても、設計・実装・運用でどこに効くかを確認しないと判断を誤る。」を運用で吸収できるか確認する。
- 公開値や仕様値は、対象プラン・対象機種・対象リージョンまで確認する。
- 既存システム、ID、ネットワーク、監視、バックアップとの接続方法を先に洗い出す。
- 小さく試してから、本番移行、権限設計、障害時手順、コスト監視を決める。